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06|なぜ「性」は、老後から切り離されてきたのか
2026.01.19
老後に性は不要だ。
危険だ。
恥ずかしい。
配慮すべきだ。
いつの間にか、社会はそう決めてきた。
だが、これほどまでに人間を誤解した判断もない。
性は、欲望ではなく関係性である
性という言葉が語りづらいのは、
それが「衝動」や「本能」としてだけ扱われてきたからだ。
しかし本来、性とは
誰かと関係を結びたいという意思の最終形に近い。
触れたい。
近づきたい。
選ばれたい。
選びたい。
それは快楽の話ではない。
自分が、まだ他者と関係を持てる存在であるかどうか
という問いだ。
老後の性は「問題」ではなく「無視」されてきた
高齢者施設で性が語られないのは、
トラブルを恐れているからではない。
もっと単純に、
扱う言語を社会が持っていないからだ。
性は管理できない。
数値化できない。
ルールに落とし込みにくい。
だから社会は、
存在しないものとして扱ってきた。
だが、
無視された欲求は、
消えることはない。
性を失ったのではなく、語る場所を失った
老後に性が消えるのは、
自然現象ではない。
「そう思ってはいけない」
「口にしてはいけない」
「期待してはいけない」
そうした無言の圧力が、
欲求を内側に閉じ込めてきた。
結果として生まれるのは、
孤立、自己否定、
そして関係性からの撤退だ。
性は、人間が“まだ途中である”証拠である
性欲があるということは、
まだ人生が完了していないということだ。
誰かと出会いたい。
誰かに触れたい。
誰かと時間を共有したい。
これらは、
老いと矛盾しない。
むしろ、
老いと共に変化し続ける欲求だ。
性を排除した空間は、人を孤独にする
性を排除することは、
秩序を守ることではない。
それは、
人間関係の可能性を
あらかじめ閉じることだ。
恋愛が起きない場所。
ときめきが生まれない空間。
誰かを意識することが前提にない生活。
そこでは、
人は安全でも、
孤独になる。
老後に必要なのは、性を「許可」することではない
誤解してはいけない。
私たちが求めているのは、
放任でも、
無秩序でもない。
必要なのは、
性を人間の自然な関係欲求として扱う設計だ。
距離感。
選択。
拒否。
尊重。
それらが成立する環境の中で、
性は初めて健全に存在できる。
性を取り戻すことは、人間を取り戻すこと
老後から性を奪うことは、
人間から
「他者と深く関わる権利」を奪うことに等しい。
田中大介が考える老人ホームでは、
性は排除されない。
隠されない。
消されない。
それは、
人が最後まで
人間として存在し続けるための条件だからだ。
次回予告|07
なぜ「場所」が、人の人生を決定づけるのか
次回は、
ここまで語ってきた
スポーツ・回復・食・欲求・性が
なぜ「場所」という形を取る必要があるのかを扱う。
