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05|なぜ「欲すること」は、老後から消されてきたのか
2026.01.18
老後は、欲を捨てる時間だ。
いつの間にか、社会はそう合意してしまった。
欲張らない。
我慢する。
慎ましく生きる。
それは美徳のように語られるが、
実際には欲求を持つこと自体を恥とする空気を生み出してきた。
欲求は、管理できないから排除される
欲求は厄介だ。
数値化できない。
スケジュールに収まらない。
安全管理の対象にもならない。
だから社会は、
老後から欲求を切り離した。
食欲は「控えめに」。
性欲は「話題にしない」。
競争心は「危ない」。
好奇心は「もう十分だろう」。
こうして残るのは、
管理しやすい生活だけだ。
欲求を失った人間は、従順になる
欲求がない状態は、
穏やかで、静かで、問題が起きにくい。
だがそれは同時に、
何も選ばなくていい状態でもある。
今日は何をしたいか。
誰と会いたいか。
どこに行きたいか。
欲求がなければ、
こうした問いは生まれない。
そして人は、
自分の人生から
意見を持たない存在になっていく。
欲することは、若さではない
ここで、
大きな誤解がある。
欲求は、
若い人間だけのものではない。
衰えるから消えるものでもない。
欲求とは、
世界と関係を結び続けようとする力だ。
欲したいと思う。
触れたいと思う。
知りたいと思う。
近づきたいと思う。
これらがある限り、
人はまだ世界の中にいる。
老後に欲求が消えるのは、自然ではない
欲求が消えたのではない。
欲求を出してはいけない空気が、先にあった。
高齢者は、
落ち着いているべきだ。
波風を立ててはいけない。
周囲に配慮すべきだ。
そうした期待が、
欲求を内側に押し込めてきた。
だが欲求は、
押し込められると、
別の形で歪んで現れる。
無気力。
孤立。
諦め。
欲求は、人生を前に進めるエンジンである
欲求があるから、
人は起きる。
欲求があるから、
外に出る。
欲求があるから、
誰かと関わる。
老後に必要なのは、
欲求を抑えることではない。
欲求が安全に、正面から扱われる環境だ。
それは放任ではない。
肯定である。
欲求を中心に据えた場所をつくる
私たちがつくろうとしている老人ホームでは、
欲求は問題ではない。
むしろ、
設計の中心に置かれる。
何をしたいか。
何を避けたいか。
誰と関わりたいか。
一人でいたいのか。
欲求が可視化され、
選択として尊重される。
欲することを許された人は、老いない
欲求がある限り、
人はまだ途中にいる。
完成していない。
終わっていない。
まだ変われる。
老後に欲求を取り戻すことは、
若返ることではない。
人生を続けることを、もう一度選び直すことだ。
次回予告|06
なぜ「性」は老後から切り離されてきたのか
次回は、
欲求の中でも最も扱いづらく、
最も人間的なテーマに踏み込む。
