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リフレーミング地獄

リフレーミング地獄

2026.01.27

ゴルフとは何か。
この問いに、まともに答えようとした瞬間、だいたい失敗する。

スポーツです。
紳士の嗜みです。
自然との対話です。

もうこの時点で、思考は死にかけている。

田中大介の対話は、ここで一度ぜんぶ壊しにかかる。
しかも、上品にはやらない。

「それ、仕事として言い直したら何なん?」
「もっと最悪な言葉で言ってみ?」

そうして出てくるのが、この定義だ。

ゴルフとは、
ボールを穴に納品する仕事である。

一気に夢がなくなる。
でも、ここで笑った人ほど、もう逃げられない。


リフレーミングという言葉は便利すぎる。
言い換えれば賢くなった気がする。
視点をずらせば、本質に近づいた気がする。

でも実際は、
言い換えただけで思考したつもりになっているケースがほとんどだ。

動画の中で繰り返されるのは、
「それで、じゃあ何が変わるん?」という執拗な確認だ。

言い換えた結果、
行動は変わったのか。
手段は増えたのか。
選択肢は広がったのか。

何も変わっていないなら、
それはただの言葉遊びだ。


ゴルフを「スポーツ」から「納品作業」に落とした瞬間、
世界は急にザワつき始める。

クラブである必要、ある?
芝生である必要、ある?
18ホールである意味、ある?
そもそも外じゃないとダメ?

ここで初めて、
シミュレーションゴルフが出てくる。
データ化された競技が出てくる。
eスポーツとしてのゴルフが成立する。

自由な手段は、
目的を雑に、乱暴に、最小単位まで削った先でしか出てこない。


動画が面白いのは、
このリフレーミングが止まらなくなる瞬間だ。

ゴルフは納品。
じゃあ人生は?
仕事は?
デザインは?
企画は?

全部、極端に言い直されていく。

そして途中で、
だんだん全員が疲れてくる。

これが地獄だ。


リフレーミングは、やりすぎると地獄になる。
何でも言い換えられる。
何でも抽象化できる。
何でも意味づけられる。

でも、
動かすためのリフレーミングと、
気持ちよくなるためのリフレーミングは、まったく別物
だ。

動画の中でやっているのは前者だ。
自分たちが気持ちよくなるためにやっていない。
むしろ、不快になるラインまでやる。


最後に残るのは、
職業名でも、肩書きでもない。

誰に、
何を、
どんな状態で、
納品しているのか。

美しい言葉を全部剥がしたあとに残る、
一行の説明だ。

仕事は、その一行を書き換えた瞬間に、別物になる。


この文章を読んで、
「言い過ぎやろ」と思ったなら、それでいい。

リフレーミングは、
優しくやるものじゃない。

フレームを壊すっていうのは、
だいたい不快で、
だいたい雑で、
だいたい途中で訳がわからなくなる。

その生々しいプロセスは、
テキストより、動画のほうが早い。


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